お店案内

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襲名のごあいさつ

“十四代目からのご挨拶”


 当家の先祖は、戦国安土桃山期 遠く宗像(九州北部沿岸)の地より、豊臣秀吉の島津征伐(1587年)後 肥前の戦国武将であった筑紫廣門公と上妻郡(現八女市)へ移りました。筑紫廣門は筑後福島(現八女市福島本町)の平野に草創期の平城と云われる筑後福島城(18,000石)を築きました。しかし1600年関ヶ原戦後、石田三成西軍に付いていた筑紫廣門は領地を召し上げられ、当家の先祖もまた八女の奥地(現八女市矢部村)へ上りました。

 その後 太平の世となった江戸時代中期 商人として上妻郡福島町(現八女市福島地区)の商家町へ下り、三世紀あまりの年月が過ぎました。
当家の屋号「矢部屋」は創業からの屋号で、「矢部」とは「八女」の古い呼び名(古語)の一つです。初代 許斐甚四郎が商いを始めた当初から八女の山産物を扱っていた由緒を物語っています。またその中でも重要なの品目の一つであった茶は、薬としても重宝され、四代目 許斐養八は 雲山と号し儒医(儒教を治めた医者)となり、家業と供に生業としておりました。

江戸後期になると欧米列強の国々が茶の争奪に動き出し、清国で起きたアヘン戦争を皮切りに 茶が日本の重要な輸出品目となり、幕末 八代目 許斐寅五郎の時代に 茶を専業とします。
当時より「以誠賣茶(誠を持って茶を売る)」という理念を掲げてきましたが、幕末以降は地域茶業の量産化や標準化(品質の向上)と向き合い、商いを続けて参りました。

 それら先代たちの遺業を振り返り、八女茶に刻まれた歴史を後世へ継ぐ事を、当代の使命として勤めております。 喫緊の課題として「八女市指定有形文化財」となっております、江戸期より引き継がれてきた町家(店舖や住居、蔵や茶仕上工場)の修理事業に取り組んでいるところで御座いますが、この事業を通じ埋もれていた史料の整理を行い、存在意義や地域にとっての在り方、それらの理解を深め歩んでおります。

八女茶の価値訴求についてはもちろん、将来の人々の為に守り勤めていければと思っております。
今後とも皆様何卒御引立ての程宜しくお願い申し上げます。

                                                                   矢部屋許斐本家十四代目 許斐久吉

八女本店

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ショップ名 矢部屋 許斐本家
販売業者 有限会社 このみ園
販売責任者 十四代目 許斐 久吉
住所 〒834-0031
福岡県八女市本町126
TEL 0120-72-0201
FAX 0943-24-2021
MAIL info@konomien.jp
営業時間 9:00~18:00
定休日 元旦、毎月奇数日曜日(第一、第三、第五日曜日 但し繁忙期=4月、5月及びイベント時を除く)その他臨時休業あり 

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